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Akeru's World of Paintings鳥図明児(ととあける)のイラストコレクション

Akeru's 2006 Art Exhibition "Houses"
at Open-Air Gallery "The Flying Saree"
next to Park Hyatt on the beach, Arossim, Goa, India
(February 12 - March 10, 2006)
2006鳥図明児(ととあける)作品展
「ゴアの家々」
(インド、ゴア州、パークハイヤット横アロシビーチ、
野外ギャラリー「フライングサリー」にて、
2006年2月12日〜3月10日)
St.Thomas School (Cansaulim ) の子供たちの絵も同時に展示
体験記 & Photos:インドで個展を開く
海からの風にサリーがはためく野外ギャラリー

ゴアで個展をやろう!
と夫が言い出した。

夫のジョン(Joao)はインドのゴア出身。
だからって
外国で個展?
ジョーダンでしょ


と思っていたら、ジョンは本気。
今年の2月、私は半ば引きずられるようにしてゴアへ行ったのだった。

ゴアはインドの西海岸、ムンバイ(もとボンベイ)から少し南に行ったところにある。
もとポルトガル領のためカトリック教徒が多く、他のインドの地域と雰囲気が違う。
ポルトガルの影響を受けた建物が多く残っている。
私が描いたのはそんなエキゾチックな建物や椰子の木の絵だ。

ゴアの乾期は毎日毎日空は真っ青、雲一つなし。雨は一滴も降らない。
2月はからっとした暑さで、夜は涼しい。西瓜と葡萄の季節だ。


個展をする場所は、海に面したジョンの椰子農園。
農園だから椰子の木が生えてるだけだ。
だから自分で野外画廊を設営する事から始めなければならなかった

先ずサリーが要る。サリーを椰子の木から木へ張り巡らせて画廊を囲うためだ。
ヒンズー教徒の多いポンダの町まで出かけ、サリーを50枚以上買い込んだ。

運良くパステルカラーの無地のサリーをたくさん買う事ができた。
サリー屋さんは目を白黒してたなあ。
個展をするんだよって教えてあげた。

予定では画廊の周囲はおよそ100m。サリーは御存じのように長さ5mの布。
だから仕立屋さんを雇い、サリーをつなぎあわせてもらった。足踏みミシンだから3日がかりだった。

仕立て屋さんはひたすらあきれてた。
だから。個展をするんだってば。

翌日ココナツ農園に行き、設営。椰子の木には気の毒だけど、でっかい画鋲でサリーをとめさせてもらった。
入り口にはサリーの暖簾を掛けた。五メートル以上あるお化け暖簾だ。
それから頭上にもサリーを張り渡した。


目の前はビーチ。

海からの風にサリーがはためく。
まさに、空飛ぶサリー。


ゴアに着いて10日めの2月12日、
ゴア初の野外画廊
The Gallery Flying Saree
がオープン!


。。。朝から意気込んで行ったのはジョンと私だけ。

来ているはずの警備員がいない。

ついでに客もいない。

2人で絵を椰子の木に掛けていった。椰子の木1本に絵が1枚。
お客さんは木の間を歩きながら絵を見るわけ。

私の絵の他、地元の子供達の絵も展示した。

絵が選ばれたカンサウリム(Cansaulim)村のセントトーマス教会 (St. Thomas Church) 付属小学校と公立小学校の子供達にはクレヨンやお絵書き帳を贈った。
お金をあげてもお父さんのお酒とかになっちゃうからね。
ただ、マルガオ(ゴア南部の中心地)ではあまり立派なスケッチブックは手に入らなかった。
画用紙もない。
確かに南インドは木材や紙が高い。

小学校に「図画工作」という科目はないそうだ。
よほど親の関心も低いのか、
子供の絵を見にこないのには驚いた。




警備員の青年達は昼頃になってのんびりやってきた。


ゴアで警備員といえばみんなダージリン州から出稼ぎに来ているネパール人で、グルカと呼ばれている。
彼らは顔だちがモンゴロイドだ。
警備員の制服を着込んだ彼等には、ゴアは暑いことだろうなあ。

まだまだのんびりしてはいられない。
州都パナジにある新聞社や雑誌社を訪ねなくちゃ。

新聞では、英字新聞ナヒンドタイムズ (The Nahind Times) がすぐ個展を記事にしてくれた。
大きな絵の写真入りだ。

テレビ局では、公営テレビ放送ドゥーダルシャン (Door Darshan)とケーブルテレビゴア365 (GOA365) が、絵のプリントアウトを見せただけで、取材に来てくれる事が決まった。
画廊をビデオにとるだけだと思っていたのに、

おそろしいことに、私にカメラの前で喋れという。

日本語、ダメですよね?
ドゥーダルシャンはコンカニ語(ゴアの言語)とヒンディー語(インド北部の言語)の放送なので、
初めはコンカニかヒンディーができるかときかれたのだが、出来ないと言ったら英語でいいって言われた。

ゴア人と19年も結婚していてなぜコンカニくらいできぬ?

相手の目にそんな疑問がうかんでる。。。
英語だってアヤシイので、あきれたかもしれない。

インドの人たちはいくつも言語が操れる。ゴアでは
コンカニ、ヒンディー、英語の3つがネイティブ並にできて普通。
人によってはマラティ(隣の州の言語)もできる。
ポルトガル時代を知る老人ならポルトガル語もできる。


ともあれ、ドゥーダルシャンの取材班は、薄いサリーを通して椰子の木が透けて見えるのをおもしろがってくれたし、絵もいいと言ってくれた。カメラマンなど、
いろいろな絵を見てきたが、こんな絵は見た事がない
などと言うではないか。嬉しいと同時にちょっとびっくり。
日本人の感性とインド人の感性は違うという事なのだろうか。

個展をしてみて、一番かわったのは、
インド人の印象かもしれない。


テレビ局の人たちはたいへんなインテリで、かつ気持ちのいい人たちだった。こんな人たちにはこれまで会ったことがなかった。

グルカの青年達は親切で、絵を毎朝掛けたり毎夕はずしたりするのを黙って手伝ってくれた。彼等ほどシャイで親切な人たちにも会ったことがなかった。

そして、貧しく無名の人々に助けられて個展ができたのだということを、はっきりさせておかなくてはならない。
第1番はサリーを張ってくれたシバだ。彼がいなければ、地上5、6mのところにサリーを張る事は出来なかったと思う。
それから、毎日豆カレーを作り家事一切をしてくれたサクバイとパルー、2人のおかげで私は食事の心配をしなくてもよかった。
運転手のイーリアス、毎日絵を運んでくれた。
それに仕立屋さん、農園の掃除に来てくれたラクシュミ、警備員の青年達。。。
彼等にどれだけ助けられたことか!
彼等が個展を支えてくれたのだ。
それを私は決して忘れてはいけないのだ。

鳥図明児(ととあける)こと
Akeru Barros-Pereira

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